小川のせせらぎと春の土筆狩り

私の住んでいる家の目の前には、整備された川があります。

生まれて以来、何度か転居を繰り返してきましたが、いつも川は私の住む家の近くにありました。

これは何度目かの転居先での出来事です。

農村の風景が残されたその土地は、緑豊かな所でした。

家の近くを流れている小川は、未だ整備の手が及ばず、土剥き出しの風情が楽しめました。

春先の一番の楽しみは、何と言っても土筆狩りでしたね。

タンポポの黄色い姿と青空に土の色は、それまでに馴染みの無い風景でした。

なので、大男が腰をかがめて一心不乱に童のように振る舞う、ということにさほどの抵抗感はありませんでした。

幼稚園の頃から、絵本などで慣れ親しんではいたものの、都会暮らしではなかなか実物に遭遇出来る機会は、与えられませんでした。

何度目かの実物の発見は、心ときめく物がありました。

成人してから実に久し振りの感動でした。

イラストとして描くには格好のスタイルが、そのイメージのまま目の前にある感じです。

千切り取った土筆を、改めて掌に載せて見てみると、申し訳のないことをしたという思いと、幾らかの好奇の眼(まなこ)で見つめていたということに、気付かされました。

最初の土筆との出会い以来の事だったのでしょう、おそらくは。

蕨のような固さは茎には無く、むしろ折り方が悪かったのか、中途半端な形となっていることに戸惑いさえしました。

でも、コツを覚えてしまえば、もうそんなことはありませんでした。

被っていた野球帽の中へ入れられた土筆の量は、既に相当なものになっていました。

まだまだその土手には、土筆がいっぱい残されていたのですが、陽は西へと遠ざかり、潮時だということを自覚しました。

家路の途中で出会った老女が、両手で持っていた野球帽に興味があったのか、中を覗きこんで来ました。

土地の人間にとっては、珍しくもないことだったのでしょう。

私達以外に土筆を採った痕跡も、そういえばありませんでした。

家へ戻ると、さっそく春の珍味の調理に取り掛かりました。

現在でもそうですが、食事の担当は私です。

まずハカマを取り去りますが、予想よりも固い感触のそれは、なかなかきれいに取り除けませんでした。

それからは、土筆の山をいくつかに分け、手早く料理することにしました。

湯にくぐらせて、冷水で彩り良く仕上げてポン酢で食す、別茹でして味噌汁の具にする、味噌和えにする等々。

そして、卵とじです。

ですが、卵との相性が悪かったのか、食欲を促すというのには程遠い色合いとなってしまいました。

それでも、これも春の味だ、と自分に言い聞かせて、家族と一緒に箸を動かしました。

食後、テーブルクロスに残された胞子の緑色に気づき、生命の奥深さに感動さえしたものです。

かなり昔の出来事ですが、春先になると、いつもあの小川の風景が瞼に浮かびます。

私の頭は、幸いなことに同年代共通の悩みに少なくとも今のところは、別段悩まされてはいません。

ですが、もしかしたらあの時の胞子が、ザエッセンスセラムの効果にように手助けしてくれているのかもしれません。

もっとも、別の物が生えてきたなら、それはそれで大問題ですけどね。